「自分探しってなんだよ。自分なんて自分の中にしかねぇよ」

大学生の時、一学年上の年下の先輩が言った。
確かにその通りだな、と思う。
お酒が入った場での「自分探しの旅」的なものに対する文脈での発言だった気がする。
自分は常に自分の中にある。
卒業して10年経つがなんとなくその言葉は自分の中に残っている。
(私は成人してから夜間の美術大学に行ったので、年齢と卒業からの年数が一般的なものと違うし、年下の先輩方がいっぱいいた。)
なのでふとした折にその言葉を思い出して、しみじみと考える。
世の中でよく見る「自分探し」。そんなに皆自分を見失っているのか。
私はそこそこ見失ってたタイプだと思う。
今ですらちゃんと「確固たる自分」があるのかと言われると、怪しい。とても怪しい。
今思うのは「自分探し」というより「自分再発見」な気がする。自分の中での。
自分は常に自分の側にいるけれど、近すぎて見えない。日々の膨大な情報・事象に埋もれて見えなくなってしまう。
自分が真に好きだった事柄はなんなのか、何をして生きたいのか。
もしくは「自分が何をして生きていたいのか、まだ出会っていない」のか。
現状の私には「幼子二人の母」というジョブが追加されているので、本来的には特にそうなりやすい気がする。
多少なっているとも思うのだけれど、そこはありがたい事に夫との協業の元、茫然自失なほどに追い詰められることは少ない。
少し道が逸れるけれど、夫は「子育てがしたい」タイプなので、下の子が保育園に行くまでの期間フルで育休を取り共に子を育てている。
ありがたい。そうじゃないと私は「シャレにならない事態になりそう、なんなら新聞に載る系の事象が他人事に全く見えない」と夫にも言っている。
ワンオペは子の性質と親の性質によりけり、環境によりけりかもだけど、ある一定期間混乱と孤独を深めると思う。行きすぎた孤独は毒だ。そして混乱を伴う孤独は、人を壊すと思う。
話を本筋に戻す。
「自分探し」というより「自分再発見」。
例えば旅に出て「自分を再発見する」というのは、色々な新しい物事に触れて、それに対して自分がどう感じるのかを知る事で自分の形を認識していく行為な気がする。
何に対して好ましいと思うのか、何が嫌なのか、思いもがけない事が起きた時にどう対応するのか。
他の人はどうなのかはわからないけれど、私は対外的な物事に対しての自分の反応からしか、自分のことを知る事ができない。
でも大概は頭の中でぐるぐると考えるだけで、こんな風に言葉に残すのは少ない。
星野源さんの「いのちの車窓から」を読んで、ちょっと自分も文章を書いてみたくなって書いてみています。ちょろいと言えるくらいに影響を受けやすい。
冒頭の言葉を言った先輩は元気かなぁ。